午後、国立西洋美術館に「ムンク展」を見に行きました。30歳を迎えた頃、少なくとも月に一度は美術館に出かけようと心に決め、しばらくはそれを実行していた時期もあったものの、最近はとんとさぼっていまして、おそらく今回は8月にメルシャン軽井沢美術館に行って以来です。
私には絵画や彫刻などの美術に対する鑑賞眼がなく、それは私のコンプレックスになっているのですが、美術史家の方などにそれを告白してアドヴァイスを求めても、「とにかく見ることじゃない?そして何か感じることじゃない?」と言われるだけです。うーんだからあんまり何も感じないんですけどー、と思ってしまうのですが、考えてみれば、もし私がクラシックの音楽に魅力を感じないという人に「どうしたら楽しめるようになりますか?」と聞かれたら、やはり「まずは色々聴いてみることじゃない?そしていつか何かを感じる時を待つことじゃない?」というような風に答えるような気がするので、美術に関しても同じことなのかもしれません。そして私は様々な体験と知識をベースに音楽を楽しんでいるので、それと同じような楽しみ方をどうしても美術にも求めてしまっているような気はします。
今回の展覧会はムンクの強い思考であり志向であり嗜好でもあったであろう「フリーズ」 (シリーズ化された装飾絵画群、とでも言えるでしょうか) にその視点を当てたものではあったのですが、散り散りになった作品群を完全に集め直したり、建造物のもはや一部であるような巨大なフリーズの全てを東京に持ってくることは当然不可能で、スケッチや習作を展示したり、コンピューターの画面上で再構成してみせるなどの主催者の涙ぐましいご努力をもってしても、「フリーズ」の体感には程遠かったと言わざるを得ませんが、その概念を知ることが出来たのは、音楽に関わる人間としてもとても興味深いものでした。まさにムンクは「フリーズ」というものを一つの「交響曲」にも喩えているのですから。
無知をさらけ出すようで恥ずかしいのですが、有名な「叫び」は、他の「不安」「絶望」という2点の絵画とセットになっているということを初めて識りました。それから、ムンクの明るい色彩の作品も見ることが出来たのも良かった、かな。