昨日・今日と長崎に行っていました。長崎交響楽団の練習のためです。
長崎交響楽団とのご縁は1998年から。もうあれから12年経ちました。今、お付き合いのあるアマチュアのオーケストラの中では最も関わっている年月が長いオーケストラになりました。今回は3年ぶりですが、これまでは仙台フィルの副指揮者をしていた2001年以外は毎年必ず振りに行っていたので、長いだけでなく深い関係でもあります。
久しぶりの共演。楽しみにしていましたが、残念ながら今回は楽しいだけとは言えませんでした。
金曜日の深夜、このオーケストラの産みの親である、松本寛三先生が80歳でお亡くなりになられたとの知らせが入ったのです。
日曜の午前中の練習を中止して、先生のお葬式で献奏したいとのことで、礼服を携えて長崎に飛びました。
土曜夜の練習では、黙祷を捧げ、練習内容も変更して、最後の50分ほどを献奏の練習にあてました。
練習後も、多くの団員はお通夜や翌日の準備に追われました。
日曜日の朝、現長崎交響楽団の団員だけではなく、かつての団員、それから先生と結びつきのある何人もの音楽家や音楽愛好家が集まりました。
お葬式の間、私はオーケストラの皆さんの前に座っていました。
私の背中の後ろから、ずっと皆さんのすすり泣きの声が聞こえていました。とても、胸が苦しくなりました。
お焼香が終わり、弔電の読み上げが終わって、私たちの出番となりました。
ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」の第2楽章。
演奏中にもすすり泣きの声は聞こえました。しかし、演奏は、強い気持ちのこもった、ぶれることのない、素晴らしいものでした。
心の奥底から滲み出るスフォルツァンド、中間部のハ長調の部分の、チェロバスとヴィオラの、天国への階段を上っていく先生を見るような上行音階。快方に向かっていた先生が突然再び倒れられたのを表すかのようなフォルテピアノ。
全てが、真の表現でした。
お葬式が終わったあと、ご親族の方々から、涙ながらにお礼の言葉をいただきました。
時に私財を投げうたれ、長崎交響楽団の発展に尽くしてくださった先生。それを認め、支えてくださったご親族の方々に、私たちこそ、お礼の言葉を尽くしたいのです。
12時過ぎのご出棺まで参加された団員もいるのに、午後1時には全員リハーサル室に揃っていました。
今回の演奏会は長崎交響楽団の創立40周年記念の演奏会です。
先生の灯した火を守り続けるのは当然のこと、それをさらに発展させていくことが先生に対しての一番のお礼になるということ、そしてこの40周年を、次の大きな節目である50周年に向けて走り出す年にしようということを一同と確認して、練習を始めました。
集中力のある、良い練習だったと思います。
さて、練習後は電車を乗り継いで倉敷に来ました。5時間弱の移動時間・・・少々疲れましたがそれでも一旦東京に戻って出直すよりははるかに楽です。
倉敷に来たのは生まれて初めて。明日、くらしき作陽大学音楽学部のオーケストラの授業を担当します。あまり多くは伺えないのですが、非常勤講師として携わります。
さて、明日はどんな一日になるでしょうか!