Profile


2. 小学2年生の頃〜5年生の頃

 小学校2年生の時に、埼玉県の久喜市に引っ越します。3年生になってクラス替えがあり、ここで私は「もんたさん」という友達と劇的な出会いをします。この「もんたさん」は、放課後に私の家にやって来ては、何故か勝手に冷凍庫を開けてはうちのアイス (その頃うちによくあったのは、チューブ状になっていて、真ん中から折ってチューチューしながら食べるやつでした。あれ何ていうのだったのかな?) を食べていたような気もしますが、とにかくひょうきんな人だっただけでなく、日本のポップス・歌謡曲をとても好んでいて、たくさんのレパートリーを憶えて歌うことが出来ました。彼との出会いによって私はクラシックからポップスに方向転換 (?) し、まずはチェッカーズにはまりました。ちょうど彼らが「涙のリクエスト」で大ブレイクした頃でした。「星屑のステージ」がテレビで初めて放映されたときには (曖昧な記憶によれば、土曜のお昼時、テレビ東京) 、ラジカセをテレビの前に置いてカセットテープに録音し、番組終了後「もんたさん」と落ち合って歌詞の聞き取り作業を一緒にしたのは、この時期の私の懐かしい思い出です。

 チェッカーズのほか、C-C-Bやサザンオールスターズなどにもはまりつつ、当時のトップ10は大概いつも歌えるほどに成長した私は、小学校の先生が出張でクラスが自習の時間になったりすると、「もんたさん」と共に教室をジャックしてはトップ10番組を開催するなど、いつしか大きな舞台を踏むようになっておりました。

 一方、ピアノの方は、私のポップス・レパートリーをピアノで弾く (もちろん楽譜はありませんので、自己アレンジでございました) ことばかりしていて、レッスンには通っていたものの、全く練習をしなくなってしまいました。大抵、土曜の夕方30分のレッスンの前に、自宅で15分ほどだけ練習するのが常でした。そんな状態ですから、全く上達しなくて、小学校2年生の時の発表会でブルグミュラーの25の練習曲集からの曲を演奏したのに、4年生の時の発表会でもまた同じ曲集からの曲を演奏している、といった有様でした。

 小学校5年生が終わった春休み、またもや私は栃木県の芳賀町というところに引っ越すことになりました。引っ越す際、久喜市の同級生たちからプレゼントとしてもらったのは、おニャン子クラブの「じゃあね」のEPレコードでした。あれはうれしかったなあ。

Copyright©  Takeshi Ooi. All rights reserved.