よく眠りました。一夜明けてみて、急に根詰めてスコアを読む必要がなくなってしまったのに戸惑い、何となくグラズノフの6番などを読んでしまいました。
午前中はゆーっくりと過ごしました。プラハからは、先日のマンフレッド・ホーネック氏とチェコ・フィルハーモニーのベートーヴェンの7番が素晴らしかったというメールが。そろそろ、プラハに戻る日も近づいてきました。
先日発給された私のヴィザ、有効期限にチェコ外国人警察のミスがあるということで、プラハに戻ったらすぐに動き始めなくてはなりません。これがヴィザ獲得物語の最終章になることを祈ります。
午後は、ホテルの近場で2箇所ほどを観光してきました。
まずはドストエフスキー文学記念博物館。ドストエフスキーが生涯の最後に住んだアパートメントです。ここであの「カラマーゾフの兄弟」を書いたとのこと。再現された彼の書斎あり、草稿の展示などもあり。
そこから10分も歩かないところに、リムスキー=コルサコフ博物館があります。ここも彼の終の住処。博物館内では声楽とピアノのコンサートが開かれていましたが、時間の都合もあってコンサートのほうは断念。しかしながら壁越しに「フィガロの結婚」や「ワリー」のアリアなどを楽しみました。
博物館のお客は私だけ。係員の婦人が簡単なドイツ語で色々と案内してくれました。この博物館は、リムスキー=コルサコフの家を極力そのままの形で残しているとのこと。彼が作曲した書斎にはピアノが無く、彼はピアノを使わずに作曲をしたとのこと。その後ろには夫人のデスク、そして2人の机の上には彼らの子供たちの写真など。部屋にはベートーヴェンやリストなど何人もの作曲家の肖像画。これらが全て当時のまま残されています。係員の方は、私にリムスキー=コルサコフとリャードフがこの書斎で撮った写真や、彼が仕事をする様子を描いた油絵などを見せて下さり、本当にオリジナルの調度品を当時のレイアウトそのままで今も展示してあることを教えてくれました。この部屋を訪れたストラヴィンスキーやシャリアピンの名刺も残されていたし、ゲストルームのピアノも小さな椅子もそのまま、ダイニングのテーブルクロスまで彼が使っていたものそのものだそうです。ダイニングでどこにリムスキー=コルサコフが座り、夫人はどこで、息子と娘たちはどこそこと教えてくださる係員さん、まるで実際に目にしたかのような話しぶりでした。
なかなか感激できますし、あまり人もいないようなので、穴場的スポットとしてお勧めかもしれません。
夜はコンクールの本選1日目を聴きにフィルハーモニーへ。オーケストラはサンクトペテルブルグ・アカデミー交響楽団。ここらへんの名称は混乱しやすいのですが、昨年井上道義氏が日比谷公会堂でショスタコーヴィチのシリーズを催した際に演奏していたオーケストラです (「アカデミー」を取った名称で呼ばれることが多いようですね) 。かつてムラヴィンスキーが振り、現在はテミルカーノフ氏が指揮を務めるサンクトペテルブルグ・フィルハーモニー管弦楽団もこのホールを本拠にしていますが、そのオーケストラとは違います。
今日はオーケストラこそ違えど、ホール自体が歴史的な建物ですので、少し興奮しました。しかも楽屋口から入ることが出来たのですから。リスト、ワーグナー、ベルリオーズ、チャイコフスキー、ムソルグスキーがこの舞台に立ち、私が尊敬してやまないムラヴィンスキーが長年仕事をしていたという場所です。
ホールの響き自体は割とデッドでしたが、嫌な感じではなく、細部をとても良く聴き取ることができました。
今日聴いたコンサート@サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー大ホール
第5回プロコフィエフ国際コンクール 指揮部門 ファイナル 第1日
サンクトペテルブルグ・アカデミー交響楽団
ピアノ:不明 (2名)
指揮:Ja Kyung Year
プロコフィエフ:交響曲第7番 嬰ハ短調 作品131 第1楽章
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第1番 変ニ長調 作品10
指揮:ミハイル・レオンティエフ
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第1番 変ニ長調 作品10
プロコフィエフ:交響曲第6番 変ホ短調 作品111 第3楽章
ピアニストはお二人とも見事でしたが、今日のためのプログラムというのがなく、一切名前や経歴などは分かりませんでした。
1人目の指揮者の方は韓国人の女性。どう発音するのか正確に分かりません。彼女はウィーン・フォルクスオーパーでコレペティトゥア (歌手のコーチ) を務めているとプログラムに書いてあります。日本人の優秀な指揮科の学生のように、はっきりとした分かりやすい棒を振られる方でした。オーケストラから曇りのない音が出て、耳を良さそうな感じでした。
私が注目したのは次のレオンティエフ氏。25歳のロシア人、生粋のペテルブルクっ子のようです。まだ若いのに巨匠然としたふるまいで、完全に私の思うところのロシアの指揮者のスタイルで振っていました。特徴を挙げると・・・
1. 基本的に視線はスコアに。奏者を見ることは極めて稀。
2. 棒の位置が高めで、動きは小さめ。
3. 右手も左手も基本的にはシンメトリカルな動き。
4. 超ポーカーフェイス。拍手をもらっても笑顔は一切なし。
5. 呼吸をそれほどしていなさそうなのに、オーケストラはよく合う。
6. 出てくる音は分厚く、フォルティッシモはギラギラと鳴る。
ロシアの指揮者の教育方法というのはどうなっているのか一切分かりませんが、彼を見ていると何かしら一貫した教育方針があるのだろうとしか思えませんでした。然し乍ら、日本では上記項目のいくつかはやるべきではないこととされているのですから面白いものです。ぱっと見たところ、果たしてスコアを読み込んでいるのか初見で振っているのかよく分からない雰囲気なのですが、音楽はしっかりと伝わってくるのも不思議な感覚でした。
ちょっとユーリ・シモノフとスヴェトラーノフの真似っぽいところがあるなーと思っていたら、プロフィールにシモノフ氏に師事とありました。
いずれにしても、ロシアの指揮者って謎!!