今日聴いたコンサート@市民会館 スメタナ・ホール
第63回「プラハの春」音楽祭 オーケストラ・シリーズ
BBC交響楽団演奏会
指揮:イルジー・ビェロフラーヴェク
ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム 作品20
スーク:アスラエル交響曲 作品27
アンコール/ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集 第1集 作品46 第2番 ホ短調
アンコール/スメタナ:歌劇「売られた花嫁」 から 「道化師の踊り」
アンコール/エルガー:行進曲「威風堂々」 作品39 第1番 ニ長調
今夜の演奏会は実に見事な結果に終わりました。このような演奏をこそ歴史的名演と言うのではと思ったほど。まだ興奮覚めやらないところですが、まずは冷静に書き出したいと思います。
今夜のプログラムはいわば「身近な人の氏を悼んで」という糸で結ばれたイギリスとチェコの20世紀の管弦楽作品というプログラムということのようです。
前半のブリテンから集中度の高い演奏で聴き応えがありました。どうして連日こんな演奏が出来るのだろうと思うほど完成度も高く、演奏のずれは一瞬程度のものが2箇所ほどしか気になりませんでした (一音バスドラムとティンパニが激しくずれたのですが、その後しばらくバスドラム奏者はティンパニ奏者を凝視しながら暗譜で演奏していました!) 。
プログラムの解説には日本からの依頼うんぬんの話はただの一言も出てきていないのは面白いところ。ただただアメリカで作曲されて初演されたと述べられているのみです。
前半からかなり長く熱い拍手が続き、後半への期待が高まりました。
スークの交響曲は残念ながらかなりマイナーな作品の部類に入ってしまうので、自学のためにも簡単に基本データをまとめておきたいと思います。
まず題名の「アスラエル」とは「アズラエル」「アズライール」とも言われる、人の死を司る天使のこと。そしてスークは1874年生まれのチェコの作曲家でドヴォルザークの弟子。のみならずドヴォルザークの娘のオティリカと1898年に結婚します。ところがその幸福はそう長くは続かず、1904年に師匠であり義父でもあるドヴォルザークが亡くなり、強いショックを受けたのも束の間、翌1905年には後を追うように妻オティリカも亡くなってしまうのです。この交響曲はこの2人の死の強い影響のもとに完成されました。実際、この交響曲の第2楽章にはドヴォルザークの「レクイエム」の冒頭が引用されています。
演奏にはまるまる1時間を要する大作で、かなり聴き疲れのする作品でもあります (たぶん、演奏するのもかなりしんどいと思います) 。ですがそれは、最愛の人たちを亡くした自分の辛い気持ちを全て五線紙に叩き付けた結果と思えば納得です。スークはきっとそうせざるを得なかったに違いありません。妻が亡くなった時、まだスークは31歳。今の私の歳に近いからか、何か理解できるようなものがあるような気がします。スークと一緒になって「三十男の慟哭を聴け!」と言いたくなってしまうような。
そんなことを思って聴いていたせいか、作品にはすんなりと入っていけました。演奏は非常に熱のこもったものでした。BBC交響楽団の素晴らしいのは、その技術の高さもそうなのですが、それよりも演奏者の作品に対するシンパシーというか、とにかく奏者の「心」が感じられることで、これは残念ながらどのオケからも感じられる、というものではありません。
曲が始まった時にはざわざわしていた聴衆も、ハ長調と変ロ短調がせめぎあうコーダにきた時には静まりかえり、全曲終了後もしばし沈黙が会場を支配しました。これはこの音楽祭の雰囲気からすると大変珍しいことではないでしょうか。コンサートマスターにビェロフラーヴェク氏が握手を求めるべく動いたところで割れるような拍手。指揮者の最初の退場前からすでにスタンディング・オベーションが始まりました。昨日の客席の雰囲気に合点がいかなかった私としては「ついにやった!」という思いでした。
アンコールの流れはこれしかないだろう、というもの。ただ「威風堂々」まで演奏するとは思いませんでした。高校生の時からBBC響の「プロムス」でのこの曲の演奏をテレビで見ていた私としては本当に嬉しいサプライズ。ただ、テンポも速くリピートもない通勤快速モードの演奏でしたけれど。前曲のスメタナに比べると明らかに音量が3割増しでここはライブハウスかと思うほど。完全に音量がロイヤル・アルバート・ホール仕様になってました。
然し乍ら、「売られた花嫁」が終わった時には即総立ちだったのに、「威風堂々」が終わった時にはパラパラとしか立つ人がいなくて、ほんとチェコ人にとっては自国の音楽が一番なんだなあという感じです。演奏はどう聴いても「威風堂々」の方が熱狂的だったのに。
BGM: スーク:アスラエル交響曲
イルジー・ビェロフラーヴェク指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
(1991年録音、Chandos)