今日聴いたコンサート@ルドルフィヌム ドヴォルザーク・ホール
第63回「プラハの春」音楽祭 リサイタル
ピアノ:ルドルフ・ブッフビンダー
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第10番 ト長調 作品14-2
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 作品13 「悲愴」
ベートーヴェン:ディアベリのワルツによる33の変容 (「ディアベリ変奏曲」) ハ長調 作品120
アンコール/ヨハン・シュトラウスII (arr. グリュンフェルト):ウィーンの夜会
(「こうもり」の主題による)
このリサイタルはもともとはマウリツィオ・ポリーニが出演する予定になっていたようです。ですがかなり前の段階でキャンセルが発表になっていたようで私は当日になるまでそのことを一切知りませんでした。ほんとキャンセル続きの音楽祭ですね。
こちらに来てから一時期部屋で毎日のようにベートーヴェンのピアノ作品を聴いていた時期があったので、あまり私はピアノのリサイタルには出かけないのですが、興味を持って足を運びました。
ここ一ヶ月ほどはほぼ毎日シューベルトのピアノ作品を聴いているのですが、そんな耳で聴くと、「悲愴」第2楽章中盤の変イ短調の部分がまさにシューベルトに聞こえました!
ブッフビンダー氏は右手の小指がすごく強そうですね。強靭なタッチでした。きっと私の右手と彼の小指で腕 (指) 相撲したら私が負けてしまうでしょう! なので右手のオクターブの時には私にはオクターブ上の音がかなり強く耳につくことが多かったです。それと全体に音楽の縦の響きに対するバランスの取り方がかなり極端で、主張がはっきりと感じられた反面、このルドルフィヌムのようなホールではそのほかの音の粒がかなり埋もれてこもった響きになってしまったのは聴いていて勿体無かったです。ただしピアニストの間近で聴いたならまた全然違った印象を持ったであろうとは思います。
もう一つ、これもホールの音響との関係でおそらくはブッフビンダー氏の意図が裏目に出てしまったのではと思われますが、前半2曲のソナタで、主調から遠い調に転調していって、それに伴い彼がテンポを急いていった時、やはり細かい音の粒が聴きとれなくなってしまったのも少々残念でした。
後半のディアベリ変奏曲はそういった意味ではほとんど転調がない作品ですので、落ち着いて聴けました。しかしベートーヴェンは何故このような巨大な作品を創ったのでしょうか。どうして晩年こんなに変奏曲やフーガに拘った、というよりもむしろ惹き付けられたのでしょうか。そんなことを考えながら聴いていました。様々な推測をしてみましたが、まだ自分の中で確固たる答は出ません。しかしこの問いに対してある程度しっかりした自分なりの見解を持てなければ、「第九」や「ミサ・ソレムニス」などの作品はとても振ることが出来ないように思うのです。指揮者である以上一生悩み考え続ける問題でしょうが・・・
アンコールのグリュンフェルトは、ブッフビンダーさんからのウィーン便り (彼は「ディアベリのワルツのあとにシュトラウスのワルツを」というようなことを弾かれる前に仰っていました) 。夢見心地な気分に浸らせてくれました。
BGM: シュトラウス=グリュンフェルト:ウィーンの夜会
アニア・ドルフマン (Pf.) (1930年代録音、Columbia / Pearl)