「夏とコジ・ファン・トゥッテ」
昨夜は何と12時間も寝てしまいましたが、一向に疲れは取れず、今日は大したことは何もせずにだらだらと過ごしてしまいました・・・
ボケーッとしていたら、モーツァルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」が聴きたくなったので、ボケーッとしたまましばらく聴いていました。
どうして「コジ」が聴きたくなったのかと考えてみたら、それは今が夏だからだ、ということに気付きました。といってもこのオペラ自体は夏とは別に関係ありません。このオペラに関する私の夏の思い出があるのです。
今から12年前 (うわっ!) の1996年、東京の二期会の公演で私の師匠が「コジ・ファン・トゥッテ」を指揮された時、私は副指揮者として公演に関わりました。公演は9月末だったので、夏休みはまさに稽古真っ盛りといった時期だったのです。
この公演の頃は中山梯一先生の日本語訳で二期会がモーツァルトのオペラの公演を行っていた最後の時代に当たります。中山先生は当時既に75歳を超えておられ、稽古場にお顔を見せられることは基本的に無かったと私は記憶しています。ところがこの公演のための音楽稽古が続いていたある日、歌手の指導のために先生が稽古場にお見えになったのです。そして私の隣か隣の隣くらいの場所から、どうしてこの訳にしたか、どうしても入れることの出来なかった言葉は何か、どのように言葉を捌くか、どのような表現を言葉にのせるかなどについて、実に表情豊かに私たちに教えてくださったのでした。その後、日本語で「コジ」に取り組む機会が無いため、細かいことはもう思い出せませんが (当時使っていた楽譜には書いてあると思うのですけれど・・・) 、あの聖なる時間の記憶は私のちょっとした宝物です。
今も同じだと思いますが、当時の二期会にも若い音楽スタッフを暖かい目で育てようとしてくださる素晴らしい雰囲気がありました。大学院入試のため色々と迷惑をおかけするにきまっている私を副指揮者チームの末端に加えてくださったのもその見識が二期会にあればこそでした。そして私と同じ年代、うーん私よりは少し年上だったかもしれませんが、やはり若いピアニストがコレペティトゥア (歌手のコーチであり、日々の稽古のオーケストラの代わりとしてのピアノを弾く音楽スタッフのこと) としてこの公演に参加していました。
もちろん能力があってのスタッフへの登用だったのでしょう。しかしオペラは経験が大いにものを言う世界です。私なぞ今でもそうですがやはり若い人には失敗はつきもの。そして二期会は暖かいとは言えども決して生温いところではなく、それなりのクオリティがプロフェッショナルとして求められる場所です。ですから若い人にとってそのようなオペラの現場は毎日が勝負であるとも言えます。
「コジ」を聴くといつも思い出す情景があります。それは蒸し暑いあの夏のある日の夕方、稽古が終わったあとの千駄ヶ谷駅のホームで、リュックを背負ってうつむき、歯を食いしばって立っているピアニストの彼女の姿です。普段なら「おつかれさまでしたー」とご挨拶するところですがその日だけはどうしても彼女に近づくことが出来ませんでした。その日の自分の仕事に納得がいかなかったのか、それとも誰かに何か厳しいことを言われたのか、あの日の彼女の表情の理由は全く分かりません。
彼女は公演まで立派にお仕事をされていましたし、実際大変に才能のある方でしたので、今もきっとどこかでお元気にお仕事をされているのだとは思いますが、私とはその後現場でご一緒する機会が全く無いのは至極残念です。
もう一つ私の「夏とコジ」の記憶の結び付きがあるのですが、これはもっと単純です。何年だったかは正確に思い出せないのですがやはり90年代中頃の夏、オイゲン・ヨッフム指揮ベルリン・フィルの「コジ・ファン・トゥッテ」がドイチェ・グラモフォンから復刻されて発売されました。クーラーがガンガンに効いたタワーレコード渋谷店 (新宿店がまだ無かった頃だと思います) の6階にドドーンと入荷されているのを発見した時の記憶は何故か私の頭の中から離れません。それは目立つオレンジ色のジャケットでまさに夏っぽい雰囲気でした。もちろん速攻買いです、ジャケ買いです。
本当は今日はこの演奏を聴きたかったのですが、プラハに持ってきているパソコン内の iTunes には入れてこなかったようでした。ですので今日はやはり大学生時代によく聴いていたショルティの録音を聴いています。
うーん、日本の夏が懐かしい! ちょっと帰りたくなってきてしまいました。帰るだけじゃなくてあの頃に戻りたくなってきてしまいました。毎日が瑞々しくて、未来はあの太陽のように輝いているかのように思えたあの夏に。
BGM: モーツァルト:歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」
サー・ゲオルク・ショルティ指揮ヨーロッパ室内管弦楽団 ほか (1994年録音、Decca)