Diary


11/10

 喜ばしいこと。友人の指揮者、シズオ・Z・クワハラさん (日本生まれ、現在はアメリカ国籍) が、ドイツのフランクフルトで行われていた第4回サー・ゲオルク・ショルティ国際指揮者コンクールで見事優勝しました!!


 クワハラさんは既に前回のこのコンクールで第2位に入賞しています。それだけでなく、東京国際、フィテルベルク (ポーランド) 、プロコフィエフ (ロシア) とこれまで実に合計4つの国際指揮者コンクールに入賞しています。

 しかし常に周囲には高く評価されながらも、彼は何故か優勝したことがなく、常に悔しい思いをしてきました。今回、最低でも2位をとらなければ前回以下の結果に終わってしまうという大きなリスクがありながらも敢えてショルティに再挑戦したというのは、そのような悔しさと、何としてでも今度は優勝してやるという強い意志があってのことであったと思います。

 このショルティ・コンクールというのは比較的新しいコンクールですが、規模が大きく、また応募方法が比較的簡単 (推薦状を添えたり、参加費を払ったりする必要がない) なことから、今回は実に540人という国際指揮者コンクール史上初の大人数が書類選考 (ヴィデオ審査) に応募しました。通常のコンクールでは応募者は大抵どこでも200人前後であると書けば、この540人という人数がいかに多いものであるかがご理解いただけると思います。

 ちなみにこの書類選考を通過したのはたったの24人です!! さすがに前回第2位のクワハラさんが書類落ちすることはないにしても、この難関をくぐり抜けたほかの23人がいかに強豪であるかは容易に想像がつきます。

 そんな熾烈な環境の中での優勝は、それが彼の実力を間違いないものであることを単に証明する以上に、彼にとって大きな意味を持っていることでしょう。

 クワハラさん、本当におめでとう。


 残念ながら悲しいこと。フランスの名指揮者ジャン・フルネさんがお亡くなりになられました。享年95歳。

 初めて氏のお名前を知ったのは1991年9月、NHK交響楽団の定期を録画したヴィデオを見た時のことでした、特にショーソンの交響曲の印象は、この曲をこの時初めて聴いたこともあって大きなものでした。

 そのあと、1993年の2月、大学受験直前だというのに彼の指揮するN響の定期を栃木県からNHKホールまで聴きに行きました。その時の優雅な指揮振りによる「幻想交響曲」の思い出は、今でも鮮やかです。

 大学生になって、東京都交響楽団のリハーサル場に潜りこませていただき、晋友会合唱団の陰に隠れてこっそりとスコアを見ながら、マエストロの音楽作りに触れました。曲はドビュッシーの「選ばれた乙女」と「聖セバスティアンの殉教」だったと思います。

 2002年6月、マエストロにご挨拶する名誉に恵まれました。日本フィルハーモニー交響楽団の定期でショーソンの交響曲が演奏されるのを聴きにサントリーホールに行った時のことでした。実はこの年の7月に自分がドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」を指揮することになっていたので、氏にアドヴァイスをいただけないかと少し前から交渉していました。マエストロの答えは残念ながら「Non」だったのですが、音楽事務所の方が実際にお会いするだけでも何か収穫があるかもしれないからということで楽屋に入れてくださったのでした。氏の言葉は「自分はこの曲に対する思い入れがあまりにもあって、アドヴァイスするのであればほんのちょっとなんていうことは考えられない。かといって今の自分にはそのための十分の時間がない。」というもので結局氏から教わることはできませんでしたが、今となっては良い思い出ですし、終演後でお疲れのところに不躾にやってきた (何だか良く分からない) 人間を追い返さず、むしろ丁寧に接してくださったことを心からありがたく思います。

 残念ながら私にとってはその日が氏の生の音楽に触れた最後の機会となりました。

 ご冥福を心よりお祈り致します。


 長いこと日記を書いていませんでした。決して何かあった訳ではなく、むしろ何もなかったからと言ったほうが良いくらいです。またぼちぼち書いていきます。気紛れをお許しください。


BGM:ドビュッシー (コンスタン編) :「ペレアスとメリザンド」交響曲
      ジャン・フルネ指揮日本フィルハーモニー交響楽団 (1997年録音、CS-PCM放送からの録音)

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