一眠りのつもりが起きたら5時。思いっきり約束破ってます。もう宴会終わってるし (当然だ) 。自分でもびっくりしました。電気もつけっ放しにして寝てしまっていました。疲れがたまっていたのかもしれません。
荷物がなかなかまとまらず、ホテルのチェックアウトを14時までのばしました。
朝から銀行に出かけて、税金・年金・公共料金を、どうだーっ!とばかりにまとめて納入しました。朝10時前の銀行というものはこんなに空いているものだったのかとびっくりするくらい、待ち時間が全くありませんでした。
9時半業務開始で、ネットと電話で住所変更系の連絡をしまくりました。10件くらいはしたのではないかな。ネットでの住所変更というのはお手軽そうで、実際にはログインのIDをとったり何だりと手間が多く、意外に一件あたりの時間は多くかかるものでした。
13時くらいまでは寝ていようと思っていたものの、何故か11時過ぎには目が覚めてしまいました。まだ心が興奮しているのかもしれません。
今日の本番@一橋大学 兼松講堂
くにたち室内管弦楽団 第5回演奏会
チェロ:花崎 薫
ストラヴィンスキー:室内オーケストラのための協奏曲 変ホ調
「ダンバートン・オークス」
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 作品104
アンコール/ドヴォルザーク:森の静けさ 作品68-5
ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」
アンコール/プロコフィエフ:古典交響曲 ニ長調 作品25 第4楽章
ホテルにはクリーニングのサービスがないので、朝早く、即日で仕上げてくれて、かつホテルまで届けてくれるクリーニング屋を紹介してもらって、移動でくしゃくしゃになってしまったタキシードをクリーニングに出しました。こうした綱渡り、これからもたくさんあるんだろうなあ。
睡眠時間3時間半。6時には起きて最後の荷物のまとめをして、引っ越し屋さんが来るのを待ちました。
昼食時と夕食時に外出したほかは、ひたすら部屋で段ボールに荷物を詰め続けました。食器を包んで、テーブルを解体し、パソコンを箱に入れて、オーディオの配線を解くと、もう夜中の2時を過ぎていました。
11時前にはチェコ大使館に行きました。広尾というところは大使館が多く、スタバなど外人さんばっかりでちょっと別世界なんですね。普段縁のない土地なので新鮮です。
相変わらず荷詰めです。既に30箱以上は詰めましたが、なかなか部屋の床が見えてこないのでちょっといらいらしてきました (部屋が荒れているだけかも) 。まだ書類関係と音源関係のみで、衣類・食器・オーディオやパソコンなどには全く手を触れておりません。何とか明日中に片付けてしまって、木曜はゆっくりしたいのですが、難しいかなあ。
夜までひたすら荷詰めをしましたが、結果を見るとあまりはかどっていないような・・ でも、大体半分くらいの荷物は詰めたでしょうか。何とか間に合わせなければ。
今日は一日中くにたち室内管弦楽団の練習に明け暮れました。まずは午前中、10時半から12時過ぎまでノンストップでストラヴィンスキーの「ダンバートン・オークス」、昼食を挟んで午後1時からはベートーヴェンの「田園」とドヴォルザークのチェロ協奏曲 (オーケストラのみ) を、午後7時までみっちりやりました。
一橋大学管弦楽団のOBオーケストラである、水星交響楽団 (水響) の演奏会を聴きに川崎に行ってきました。一橋大学管弦楽団関係者として緩いつながりはずっとありながら、演奏会を聴衆として純粋に聴きに出掛けるのは実に初めてのことでした (10年程前に、チェレスタ弾きとしてのっていた頃、「降り番」で客席にまわったことはありましたが) 。
今日は楽譜と引っ越し関係の買い出しで午前中から外出しました。楽譜屋を数店巡って、ここに書くのも恥ずかしい量と額の楽譜を手に入れましたが、本日最大の収穫は、数年ぶりに行った楽譜・楽書の古書専門の古賀書店で、ドヴォルザーク研究の神様オタカル・ショウレック・著、渡 鏡子・訳の「ドヴォルジャーク」を期せずして手に入れたことでした。修士論文を書いた際に、図書館で借りて参考にして以来の出会いです。
朝10時、海外旅行保険の保険証券をゲット。
11時半、エアコン交換工事スタート。私は喫茶店に逃避。
13時半、工事終了。工事担当者は憔悴気味。晴れてわが部屋に帰還。
今日は実家に帰って、自分の部屋の荷物の整理をしてきました。かなりの本・雑誌類と、ほとんど全てのそれ以外の細々とした品々、それにカラーボックスなどの棚類も全部処分することにしました。
今日は午前中から健康診断に行きました。私が最も苦手とするのは「待つこと」なのですが、みっちりと今日は待たされまくりました。何も考えず出掛けてしまい本を持っていくのを忘れたのは痛恨の極みです。
今日は午前中に、ある音楽事務所の命により宣材写真を撮りに西武池袋線は武蔵藤沢まで行きました。よく場所を確かめないで出掛けたら所沢の先なんですね。都内に比べるとのどかな雰囲気が漂っていました。
私の留学計画は、まず、2007年の8月で仕事を辞めて、プラハに行くと勝手に自分で決めたところから始まりました。